運動性細菌の走化性機能を活用する分子微生物生態工学

走化性とは

 多くの細菌は鞭毛を用いた運動性を示す。それら運動性細菌はただやみくもに泳ぎ回っているだけでなく、「好ましい」物質には集まり、「好ましくない」物質からは逃避する走化性と呼ばれる行動的応答を示す。

 走化性の分子機構は大腸菌をモデル細菌とした研究で極めて詳細な点まで解明されている。その研究によると、走化性分子機構は、走化性センサー-細胞内走化性シグナル伝達系-鞭毛の3つのコンポーネントから構成されることが分かっている。多くの運動性細菌のゲノムが解読されているが、いずれもこれら3つのコンポーネントに対応する遺伝子群を有していることから、大腸菌以外の運動性細菌の走化性分子機構も基本的には大腸菌のものと同じであると考えられている。大腸菌を含む運動性細菌は複数種類の走化性センサーを有する。この走化性センサー群はひとつの細胞内走化性シグナル伝達系を共有している。したがって、ある運動性細菌がどの物質を「好ましい物質」もしくは「好ましくない物質」として認識するか、すなわち、運動性細菌の「個性」は走化性センサーのレパートリーで決まる。(参考文献:たとえば、J. Biosci. Bioeng., Vol. 106, p. 357-362, 2008)

環境細菌と走化性と生態学的相互作用

 環境細菌の多くは運動性/走化性を示す。一方、走化性に必要な遺伝子は50以上にのぼる。これだけ多数の遺伝子を必要とするにもかかわらず、永い自然淘汰の歴史を経た現在でも多くの環境細菌が運動性/走化性を保持しているのは、走化性が自然環境での生存に何らかのアドバンテージをもたらしているからに違いない

走化性研究者は古くから走化性の生態学的な意味合いについて興味を持っていた。特に根粒菌のマメ科植物への共生、Agrobacterium tumefaciensや青枯病菌Ralstonia solanacearumの植物感染、植物成長根圏細菌Pseudomonas fluorescensの根圏定着など、土壌細菌と植物との相互作用における走化性の関わりについて研究が行われた。その研究で、植物関連物質に対する走化性応答が確認されたり、土壌マトリックスでも走化性が発揮されるなどが明らかにされてきた。しかし、大腸菌における走化性研究の進展とは裏腹に、環境細菌の走化性の分子生物学的解析はほとんど進展しなかった。ゲノム情報から、環境細菌は20~50種類もの走化性センサーを有することが分かっている。一方、研究が進んでいる大腸菌はわずか6つの走化性センサーしかない。走化性の生態学的役割について分子生物学的な解析を進めるためには、どの物質に対する走化性が生物間相互作用に重要であり、どの走化性センサーがその物質の感知に関わっているのかを特定する必要がある。しかし、機能解析がなされた走化性センサーは大腸菌の6つのセンサーを含む極限られたものであるので、アミノ酸配列の相同性からそれぞれの走化性センサーの機能(どの物質を感知するか?)を予測することはほとんどできない。それが環境細菌の走化性の分子生物学的解析が進展しなかった理由である。(参考文献:たとえば、Annu. Rev. Microbiol. Vol. 30, p. 221-239, 1967)

Fig.1 Pseudomonas aeruginosaのゲノムと走化性センサー: 円の外周が26の走化性センサーと遺伝子

環境細菌走化性研究のモデル細菌としてのPseudomonas aeruginosa

 P. aeruginosaをモデル細菌として用い、環境細菌の走化性研究で大きな成果を挙げています。

 分子微生物生態工学を行うためには、対象となる環境細菌の走化性センサーの機能解明が必須である。しかし、バイオインフォマティクスな方法にのみ頼っていては、環境細菌が持つ多数の走化性センサーの機能を知ることができない。そこで我々は、生態学的に重要な細菌を多く含むPseudomonas属細菌のうち、Pseudomonas aeruginosaを環境細菌走化性研究のモデル細菌として選定した。P. aeruginosaを選定したのは、1)活発な運動性を示し走化性測定が容易である、2)ゲノム情報が完備、遺伝学的ツールが豊富と分子生物学的解析がやりやすい、3)26もの走化性センサーを有する、ためである。  我々の戦略は、「とにもかくにもP. aeruginosaの26の走化性センサーの機能(何を感知するか)を明らかにする」というものである。そのために、まずそれぞれの走化性センサー遺伝子を破壊した遺伝子破壊株ライブラリーを構築した。そして、P. aeruginosaが走化性を示す物質を発見するたびにその破壊株ライブラリーを用いたスクリーニングを行い、走化性センサーの特性化を行った。確かに愚直な方法であるが、この解析により11の走化性センサー(アミノ酸、リン酸、リンゴ酸、O2、エチルベンゼン、アニリン、エチレン、トリクロロエチレンのセンサー)の特性化ができた。その他、繊毛運動、バイオフィルム形成に関与する3つの走化性センサーが他の研究グループにより特性化されているので、現時点で半数以上の走化性センサーの機能が明らかになっている。  さらにP. aeruginosaで得られた走化性センサーのデータがPseudomonas putidaPseudomonas fluorescensR. solanacearumの走化性センサーの機能予測に有効であることもわかってきている。

分子微生物生態工学

 微生物の自然環境/生態系での振る舞いを分子レベルで制御して、環境問題や食糧問題などの解決を図る新しいバイオテクノロジー。

 走化性の生態学的役割とは何であるか?運動性細菌が集積応答(正の走化性)を示す「好ましい物質」の多くは増殖基質である。したがって、走化性は探餌行動として捉えられよう。また、「好ましい物質」には生物相互作用を起こす相手方の生物が分泌する物質も含まれる。共生でも感染でも自然環境で生物相互作用を開始するためには、当然ながら、相手方の生物と出会う必要がある。走化性はその「出会い」を効果的に行うための機能ではないかとも考えられる。この考えは、走化性変異株を用いた植物感染実験や、植物根圏定着試験で確かめられている。つまり、走化性は生態学的生物相互作用の最初期ステップに関与していると考えられる。それが事実であるならば、人為的に走化性をうまくコントロールすることにより、例えば、土壌病原菌による植物感染を防除したり、植物成長促進根圏細菌による植物成長促進効果の効率化を図ることができよう。また、環境汚染地点の浄化で、現地に汚染物質分解細菌を散布して環境浄化を図るin situバイオレメディエーションという技術がある。このとき、汚染物質分解細菌が環境汚染物質を分解するためには、これも当然ながら、まずは分解細菌が汚染物質に接触する必要がある。もし、分解細菌が汚染物質に対して強い正の走化性応答を示すようになれば、in situバイオレメディエーションを促進することができよう。  遺伝子レベルで制御をかけ、環境細菌の生態学的生物相互作用や汚染物質分解細菌による現場での環境汚染浄化をコントロールする技術を我々は分子微生物生態工学と呼んでいる。運動性細菌の走化性は、分子微生物生態工学の格好なターゲットである。そこで、走化性を活用した分子微生物生態工学を実現するために、植物関連物質や環境汚染物質に対する走化性を分子生物学的に解析するとともに、植物感染や植物共生における走化性の役割を分子レベルで解明する研究を行っている。

分子微生物生態工学の試み1:レーダー搭載型環境浄化細菌の構築

 環境汚染物質を感知して積極的に集まり、それを分解する「レーダー搭載型環境浄化細菌」を創れるか?

 環境汚染物質を分解する能力を持つ微生物を環境汚染地点に投入して環境浄化を行う技術をin situバイオレメディエーションという。汚染物質の分解は、生体触媒であるところの汚染物質分解微生物が汚染物質に接触することで初めて起きる。したがって、汚染物質分解微生物を汚染物質があるところにどのように運ぶかがバイオレメディエーションの効率を左右する因子となる。もし、汚染物質分解微生物に汚染物質感知機能を付与して汚染物質に対し積極的に集積するようにできれば、バイオレメディエーションをスピードアップできると期待される。我々が走化性の研究を始めた1990年の時点では環境汚染物質に対する走化性はほとんど知られていなかったし、ましてや汚染物質を感知する走化性センサーなどまったく不明であった。しかし、走化性研究の目的を説明しやすいこともあり、ほとんど冗談で描いた説明用の漫画が図である。  しかし、P. aeruginosaの走化性センサーの網羅的機能解析を展開する中で、トリクロロエチレン、トルエン、エチルベンゼン、クロロアニリンを感知する走化性センサーを見出すことができた。すなわち、図の漫画を書いていた時点では冗談(夢)と思っていたことが、実際に実験で検証可能な状況になってきたのである。現在、トリクロロエチレン分解活性を持つP. putida F1株およびクロロアニリン分解活性を持つP. putida T57株にそれぞれトリクロロエチレンおよびクロロアニリンの走化性センサー遺伝子を導入し、レーダー搭載型環境浄化細菌を構築している。

Fig.2 レーダー搭載型環境浄化細菌

分子微生物生態工学の試み2:P. fluorescensの植物成長促進効果の向上

 植物成長促進活性を持つ環境細菌を十二分に活用し、農薬・肥料の使用を大幅に節約する農業を開発できるか?

 土壌細菌P. fluorescensは、土壌粒子に結合しているリン酸を可溶化して植物に供給したり、土壌病原微生物の感染を防除したりして植物の成長を促進させる能力を有し、植物成長促進根圏細菌(plant growth promoting rhizo-bacteria, PGPR)と呼ばれている。PGPRをうまく活用できれば、省農薬/肥料型の農業を行うことができよう。PGPRが植物成長促進能を発揮するためには、その植物の根圏に定着する必要がある。植物根からは、種々の走化性誘引物質が分泌されているので、PGPRの根圏への移動には走化性が関与していると考えられる。PGPRの走化性欠損変異株を用いた試験から、確かに根圏定着に走化性が関与していることが確認されている。とするならば、逆に根からの分泌物への走化性を強化してやれば、より効率的に根圏定着できるようになるかもしれない。現在、このアイデアのもと、P. fluorescensの植物関連物質に対する走化性の研究を行っている。  P. fluorescensが根の分泌物に強い走化性応答を示すことは古くから知られていた。しかし、どの物質が根圏定着に関与しているのか、またその走化性センサーはどれなのかについては不明であった。我々は、根分泌物主要成分のひとつであるアミノ酸に対する走化性センサーの探索を行った。P. aeruginosaで得られていた走化性センサーのデータを元に研究を進めた結果、3つの走化性センサーがアミノ酸走化性に関与していることを突き止めた。さらにそれらの変異株を用いた解析から、アミノ酸走化性が根圏定着に関与することも明らかにした。しかし、アミノ酸以外の物質に対する走化性も根圏定着に関与していることも実験結果から推測された。おそらく、有機酸走化性が根圏定着に関与しているのであろうと考え、現在、リンゴ酸とコハク酸の走化性センサーの特定を行っている。

Fig.3 植物成長促進根圏細菌(PGPR)の高度利用

分子微生物生態工学の試み3:青枯病菌R. solanacearumの植物感染と走化性

 重要な植物病原菌R. solanacearumの植物感染における走化性の役割は?R. solanacearumの走化性を標的として、感染防除技術を開発できるか?

 R. solanacearumはトマト、ナス、ジャガイモ、タバコ等の重要な農作物に感染して青枯病や立枯病を引き起こし、農業に甚大な被害を及ぼす重要な植物病原菌である。R. solanacearumは独特な生態特性を有している;この細菌は土壌長期残留性を持ち、地下深くに何年も残留する。適当な宿主植物が植えられると再び地上部に移動し、根の傷口などから感染、次いで維管束柔組織→木部組織と移動する。そして病原性を発揮して導管部の通水能力を低下させ、青枯病を発症させる。R. solanacearumは運動性細菌であり種々の化学物質に対して走化性を示す。本菌の植物感染開始・感染初期の段階で走化性が重要な役割を果たしていると考えているが、その解析はほとんど進んでいない。  我々は独自に開発した高感度・迅速走化性アッセイ法を用いてR. solanacearumの植物関連物質に対する走化性を網羅的に測定した。その結果、面白いことにR. solanacearumは植物ホルモンの一種に走化性応答を示すことが分かった。さらに、根が分泌する有機酸のひとつについては、非常に低濃度でも誘引応答を示すことが分かった。これらの結果から、R. solanacearumはまず、有機酸を感知して地中深くから植物根周辺に集積し、ついで根の傷口からしみ出る植物ホルモンを指標に根の傷口のありかを感知し、植物体内に侵入(感染)していくのではないかと考えている。現在、P. aeruginosaをプラットホームにした遺伝学的解析ツールを用い、植物ホルモン、有機酸の走化性センサーを探索している。これらの走化性センサーが特定できれば、上記の仮定の検証を行う。さらには、植物ホルモン/有機酸走化性を利用した新たな感染防除技術開発を行いたいと考えている。

Fig.4 トマトの青枯病 (左) 正常なトマト、(右) 青枯病のトマト